« 雑誌の編集部みたいな苛酷な職場で働いていれば、いやでもオッサンになる。というよりも、女性が企業社会で男性に伍してやって行くということは、そのまま身も心もオッサンに変身することを意味しているのかもしれない。
ってことはつまり、1980年代に施行された男女雇用機会均等法は、21世紀を迎えた現在、オフィスの総オッサン化というカタチで具現化していて、われわれは、その著しくマッチョな未来から、20世紀のバレンタインをむなしく振り返っているわけだ。なんということだろう。オレたちがめんどうくさがってクルマのダッシュボードに放置したままドロドロに溶かしてしまったあの膨大な量の20世紀の義理チョコは、あれは、滅び行く女子という種族からのわかれのあいさつだったのである。
で、めでたくオッサンになった彼女たちは、もはやチョコレートを配らない。
「冗談じゃない。ヨメがほしいのはこっちだよ」
と、ガハハ笑いをする彼女を、私は、たしなめることができない。
一緒になって笑っている。意気地のないおばさんみたいに。なんということだろう。
それでも、仮に女性誌を作っている女性スタッフが軒並みオッサン化しているのだとしても、読者の側が、その彼ら(と言ってしまうが)の作った記事を読んで、女子力を高めるべく努力しているのであれば、それはそれで21世紀の女子は順調に再生産されて行くはずだ。そう思えば、そう考えることはできる。
でも、実際に記事を読んでみると、どうやら、女子というキャラクター設定は、現実の女子にとっても既にファンタジーになってしまっている。で、「女子力」は、なんだかとてつもないスペックに化けている。
少なくとも私のような前世紀の男が抱いている「女子」に対する幻想は、もはや完全に破壊されている。
第一、「粘液力」っていうのは、なんだ?
軟体動物じゃあるまいし、カタギの女がどうしてそこまで即物的な条件に拘泥せねばならんのだ?
あんたらは何を目指してるんだ?
なめくじか?